リバーサイドしろきた 第四参号棟 の過去掲載物件情報 現況の確認はお気軽にお問い合わせください。
駅まで徒歩12分と少し離れた物件です◎中古でありながら、室内もきれいな一押しのマンションです◎おおさか東線城北公園通を利用する方は、ケーズホームで物件探しを始めましょう◎お問い合わせはinfo@kshome21.net、または0120-920-616までお電話ください(*^_^*)
物件情報
周辺施設
コメント【外観】◎JRおおさか東線「城北公園通」駅徒歩9分!! ◎スーパーが近く日々のお買い物が便利ですね♪ ◎小学校が近くお子様の通学が安心な距離です。
リバーサイドしろきた 第四参号棟 の物件概要
【中古マンション】所在地 | 大阪府大阪市都島区毛馬町2丁目11 | ||
---|---|---|---|
交通 | |||
価格 | - | 管理費 | - |
専有面積 | - | 築年月(築年数) | 1979年 4月 ( 築44年 ) |
種別/構造 | 中古マンション / 鉄筋コンクリート | 階建 | 5階建 |
備考 | 毛馬の水門・閘門 明治18年(1885)の大水害を機に淀川の大改修が行われ、同43年に新淀川が開削されました。 このとき毛馬で新淀川と分岐する旧淀川の水量調節と舟運の便のために建設されたのが毛馬洗堰と閘門です。洗堰は川の水が常にその上を流れ越す程度の高さに作った堰、閘門は水位の高低差の大きい河川で水を堰き止めて船舶を通過させる装置です。 設計者はオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケで、閘門は明治40年洗堰は同43年に竣工しました。大正7年(1918)に第2閘門が竣工すると元の閘門は平時は開放、高水時は閉鎖して洪水を防ぐ役割を果たしました。 その後、昭和49年(1974)上流に新毛馬水門・閘門が築造され、同57年に新しく淀川大堰が完成したことにより、旧洗堰と閘門は役目を終えて閉鎖されましたが、一部はわが国の近代治水工事の貴重な遺産として河川公園内に保存されています。 蕪村の生誕地・句碑 江戸中期の俳壇を革新し南宗画を開拓した与謝蕪村は、享保元年(1716)、摂津国東成郡毛馬村(現都島区毛馬町)に生まれました。 本性谷口、のちに与謝。20歳のころ江戸に出て早野巴人に俳諧を学び、東国から丹後国与謝地方を遊歴後、43歳で画家として京都に定住し、詩情あふれる独特の画境を開きました。 俳諧では早野巴人の夜半亭を継ぎ、感性的・浪漫的な俳風を生み出し、芭蕉と並び称されています。 安永6年(1777)作の長詩「春風馬堤曲」は、藪入りで毛馬堤を故郷へ急ぐ女性の情趣を蕪村自身の郷愁の念を籠めて描いたもので、蕪村はこの地を離れた後も幼時を想い毛馬村へ望郷の念を抱き続けていたことがわかります。 淀川左岸堤防上に建つ蕪村の句碑は、「春風馬堤曲」の「春風や堤長うして家遠し」の句を蕪村の筆跡で刻んだもので、淀川改修百年記念として昭和55年(1980)に建てられたものです。 淀川神社 明治42年(1909)政府の神社合祀令により、城北村大字毛馬(現毛馬町、大東町)の氏神である八幡神社が大阪市北区中野町(現中野町)の櫻宮に、また城北村大字友渕(現友渕町、毛馬町の一部)の氏神である十五神社が古市村大字南島(現旭区)の大宮神社に合祀されました。 毛馬町天正年間(1573~1591年)織田氏がこの地に毛馬城を築き布陣したと言う説があります。 都島 史跡マップ 参照 |
||
取扱会社 |
|
※地図上に表示される物件の位置は付近住所に所在することを表すものであり、実際の物件所在地とは異なる場合がございます。