緑橋駅前アーバンコンフォート の過去掲載物件情報 現況の確認はお気軽にお問い合わせください。
エレベーター付きの物件です◎中古ながらも綺麗な室内と魅力的な住環境のマンションです◎
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コメント【外観】◎大阪メトロ中央線『緑橋駅』徒歩2分!!3WAYアクセス可能 ◎スーパーが近くお買い物至便な環境♪ ◎周辺施設充実です♪
緑橋駅前アーバンコンフォート の物件概要
【中古マンション】所在地 | 大阪府大阪市東成区中本2丁目11-12 | ||
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交通 | |||
価格 | - | 管理費 | - |
専有面積 | - | 築年月(築年数) | 2006年 2月 ( 築18年 ) |
種別/構造 | 中古マンション / 鉄筋コンクリート | 階建 | 12階建 |
備考 | 昭和初期の東成区は、現在の生野・旭・城東・鶴見の4区を含む広大な区域を有し、人口も33万人を数える大区となり、区政は繁雑を極め、そのため昭和7年「旭区」が、同18年「生野区」「城東区」が分区独立しました。昭和という時代は、大阪市が飛躍的発展した時期です。 大阪城の再建・御堂筋および地下鉄の開通など近代都市の機能の充実がなされ、日本の代表的一大商業都市へと発展しました。このような大阪市の発展に伴い昭和2年市電(路面電車)が下味原から今里まで延長開通し、城東線も高架化・電化がされ、同8年には「森ノ宮」「鶴橋」の開業と共に区民の足は飛躍的に便利となりました。 小学校も、東小橋・今里・東中本・深江・片江と次々に新設され、戦後の宝栄小学校新設により今日の11校となりました。 しかし、昭和9年室戸台風は東成区の各小学校の校舎に甚大な被害をもたらし、教員、児童等多くの犠牲者をだすなど悲惨な爪痕を残しましたが、これを機に校舎の鉄筋化がはられました。昭和20年3月の大阪空襲、同年6月の空襲では当区の西部を中心に約6400の全焼家屋と約20700人の罹災者えおだしました。終戦前日の8月14日大阪砲兵工廠を中心とした大空襲の余波を受け「森ノ宮」駅周辺も甚大な被害を蒙り、翌8月15日第二次世界大戦は終結をすることとなりました。 終戦直後の区内は西部を中心に焼野原と化し、耐乏生活を余儀なくされ、主食の遅配や欠配、停電の続く中、いち早く鶴橋や玉造駅前に闇市が出現し、敗戦日本の象徴的な存在となりました。戦後の混乱のなか、先ず大阪市戦災復興土地区画整理により、玉造から事業が着手され、復興第一歩が始まりました。 戦後改革のなかで学制が改められ、六・三・三制となり、昭和22年新制中学として東陽・本庄・玉津さらに相生の各中学校が開校されました。 昭和30年代に入り区内の交通も整備され、32年にトロリーバスが今里~守口間開通、森ノ宮から緑橋まで市電が延長運転っされ、交通の足が一段と便利になりました。また、ジェーン台風(昭和25年)を上回る被害となった第2室戸台風(昭和36年)の後、追々と下水事業も完備され、度重なる浸水被害から区民も解放されました。 |
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取扱会社 |
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