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◆マジックインキにまつわる、「はてな?」の話
旭区の城北通りを歩いていて驚いた。通りに面したビル型の工場棟に、「?」マークでおなじみ、マジックインキの看板文字が出ていたのだ。マジックインキと言えば、セロテープやホッチキスと並んで商品名がそのまま普通名詞化した、超ロングセラー商品。
インクを略してマジックだけでも通用する普及ぶりなのだ。「へええっ。その商品が、ここで
生産されていたのか!」ところが寺西化学工業という社名表示を見て、頭の中にそれこそ「?」マークが浮かんだ。マジックとくれば内田洋行と思い出すのが、子供時代から反射回路なのだ。
そこで帰宅後調べたところ、こういう経緯がわかった。
戦後、アメリカ視察旅行で油性ペンを買って帰ったのが内田洋行の当時の社長。その関与のもとで商品開発をし、昭和28年に発売したのが寺西化学。
だから「マジックインキ」の商標は、現在も内田洋行が持っている。
したがって消費者の混乱を避けるため、商品には両社ともの社名記載はなく、電話番号のみが記されている。
なるほど、手元のマジックを確かめてみると、確かに市外局番が大阪、寺西化学の番号だけが明示されていた。興味深い事実を知ることができ、大満足していたのだ。
◆図書館に谷甲州コレクションのある大学
旭区の大宮。淀川を背にした場所にある大阪工業大学は、大正11年に創立された関西工学専修学校を始まりしている。
巨大な商都であっる大阪が工業の町にもなりつつあった時代、その発展に寄与するべく、即戦力となる人材を育てるための開学だったという。
昭和の戦前には、高等工業学校も開設され、そこが戦後大学へと発展した。
現在では工学、情報科学、知的財産の三学部のもと、多くの学科を有しているのだ。
大学の正門を見た瞬間わかるように、中之島の大阪市立中央公会堂をモチーフにしている。
ところで、SF作家仲間の谷甲州氏はこの大学出身。
建設会社に勤めた後、青年海外協力隊に参加してネパールへ行っていた。
また、国際協力事業団のプロジェクト調整員として、フィリピンに滞在したこともある。
内にファイトを秘めた彼は先年は小松左京さんに見込まれて、「日本沈没」の第二部を書き上げた。
・大阪ランダム案内より参照
物件情報
周辺施設
コメント【外観】◎大阪メトロ谷町線/今里筋線/京阪本線の3駅3沿線利用可能な好立地です。 ◎淀川河川敷が近く自然溢れる環境です♪ ◎コンビニ、スーパーが近くお買い物至便な環境です♪
淀川パークハウス七号棟 の物件概要
【中古マンション】所在地 | 大阪府大阪市旭区太子橋3丁目2-7 | ||
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交通 | |||
価格 | - | 管理費 | - |
専有面積 | - | 築年月(築年数) | 1973年 3月 ( 築50年 ) |
種別/構造 | 中古マンション / 鉄骨鉄筋コンクリート | 階建 | 11階建 |
備考 | 旭区中宮には、旭区民センター、旭図書館、大阪市立芸術創造館の入った立派な建物がある。芸術創造館は、演劇や音楽などに取り組む人達の活動拠点として平成12年初頭にに開設されたもので、練習や発表の施設が完備している。芸創ゼミと称する講演会なども行われている。ジャンルは違うが表現や創造にかかわっている者として、その支援ぶりに羨ましさを感じる施設なのだ。 また区民センター内には郷土資料室も有り、パネルや土器などの展示で、弥生時代以来の歴史を知ることができる。古墳時代、仁徳天皇が淀川の治水工事を行った。飛鳥時代には聖徳太子がこの地にも足をのばしたそうで、だから、太子橋という地名が残っている。 こんな事実や由来を知り、豊臣秀吉による京街道の整備や、大坂城を守るため高殿に「七曲がり」を設けたエピソードなどに接すると、つくづく大阪の歴史の長さ深さと多様性を感じさせられる。時間旅行の心地で江戸期から明治時代までくれば、それはもう、ついこないだのことのようにおもってしまうのだ。そして現在に戻って建物の外に出ると、ビル内施設の表示板に旭備蓄倉庫という名称もあった。 視線は未来にも向けられているのである。 大阪ランダム案内 より参照 城北公園 生江3丁目 治水改修~城北公園へ 明治18年(1885)淀川左岸の洪水は、生駒山の麓まで押し寄せ、大被害をもたらした。 その後も度重なる被害に淀川の改修計画が始まり、機械力も今ほどではなかった河川堤防工事は困難を極めたが、工事期間は延長されつつ明治43年(1910)に竣工した。 明治の大改修により、守口市役所から太子橋一帯・中宮一部・生江一部辺りの昔の淀川河川敷地域は、堤防の外に取り残され、旭区部分の大小水溜りや水面の多い空地が城北公園になった。 その後、小支流の江野川を利用して、園内に植え付けられたのが花菖蒲である。 今や市内一番の菖蒲園となり、城北公園には欠かせない公園の見どころとなった。 園内の大池は淀川本流とともに、釣り人にも人気のスポットとなっている。また、改良工事のときにできた公園下川岸のワンドは淡水魚の宝庫だったが、近年は外来の魚や草が多くなり、淀川の自然を守る環境保護とエコの声が高まっている。 昭和39年市内初の菖蒲園が開園する。(当時8000株) 旭区地域史 旭の今昔 より参照 |
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取扱会社 |
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所在階 | 間取り | 専有面積 | 方位 | 詳細 |
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6階 | *** | *** | *** | 詳細を見る |