中宮 中古戸建
「中宮 中古戸建」:大阪市旭区エリアの新居にピッタリ♪近くに城北公園(320m)があるので、リフレッシュするときなどにご利用いただけます♪歩いてすぐの場所には博愛城北病院(322m)があり、緊急時でも安心できます♪畳の張替も済んでおり、快適に仕上がっております♪ケーズホームにはお電話0120-920-616だけでなく、メールinfo@kshome21.netからもお問い合わせ頂けます(*´ω`*)
物件情報
周辺施設
コメント【外観】落ち着いた色合いのレンガ調の外観になります。南東角地になりますので、日当たりもよく心地いいお家。前の道は広く一方通行なので、安心面もありそうですね!
博愛城北病院
約322m/5分
大阪府旭警察署
約507m/7分
ローソン 大宮四丁目店
約830m/11分
関西アーバン銀行 千林支店
約1107m/14分
旭区
約1001m/13分
ありんこ第2保育園
約1164m/15分
ブリヂストンスイミングスクール旭
約1600m/20分
大宮南公園
約1107m/14分
エルワイズ(ライブハウス・スタジオ)
約1179m/15分
ベルファ 都島ショッピングセンター
約1891m/24分
ジャパン・都島店
約1531m/20分
大阪工業大図書館
約835m/11分
都島大東郵便局
約1142m/15分
千林商店街
約1161m/15分
千林大宮駅
約1036m/13分
中宮 中古戸建 の物件概要
【中古一戸建】所在地 | 大阪府大阪市旭区中宮3丁目2-25 | ||
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交通 | |||
価格 | - | 築年月(築年数) | 1984年 9月 ( 築36年 ) |
建物面積/坪数 | -/- | 土地面積/坪数 | -/- |
種別/構造 | 中古一戸建 / 鉄骨造 | 地目 | 宅地 |
備考 | 南島の地名と産業 『南島』という地名は現在残っていないが、江戸時代以前から古い村の名前である。淀川左岸に位置し、かつては淀川内のひとつの洲であったため。「南島」という地名が生まれた。 元和6(1620)年、江戸幕府の直轄地となり、以後、明治22(1889)年、森小路村・今市村・千林村と合併して『古市村』ができるまで、「南島村」として純然たる農村地帯を形成していた。当時、井路川とよばれる淀川水系の用水路、交通水路が発達していて、そこを「三枚板」という幅三尺、長さ三間の小舟を自在に操って、農民たちは農作物や肥料を運搬し、村内を自由に往来していた。このあたりは低湿地で、湿田が多く、米作の他、大消費地に近いため、野菜の収穫も盛んで、その作付けは全耕地の3割を占めていた。毛馬キュウリ・大根・マクワウリ・レンコンなどの他、菜種や綿実・梨(長十郎など)・ブドウ(甲州物)が作られていた。また、隣の「中村」では、湿地帯を利用して「河骨」が収穫され、薬物問屋に出荷され、健胃・強壮・止血などの妙薬の薬種として重宝されていた。明治22(1889)年から大阪市に編入された大正14(1925)年までは古市村内の「字南島」となったが、昭和4(1929)年に南島町から「大宮町」が分離、新設され、昭和25(1950)年には、大宮町に吸収されるかたちで『南島』の地名は消えたのである。 城北公園 治水改修~公園へ 明治18(1885)淀川左岸の洪水は、生駒山の麓まで押し寄せ、大被害をもたらした。その後も度重なる被害に淀川の改修計画が始まり、機械力も今ほどではなかった河川堤防工事は困難を極めたが、、工事期間は延長されつつ明治43(1910)年に竣工した。 明治の大改修により、守口市役所から太子橋一帯・中宮一部・生江一部辺りの昔の淀川河川敷域は、堤防の外に取り残され、旭区部分の大小水溜りや水面の多い空地が城北公園になった。その後、小支流の江野川を利用して、園内に植えられたのが花菖蒲である。 今や市内一の菖蒲園となり、城北公園には欠かせない公園の見どころとなった。園内の大池は淀川本流とともに、釣り人にも人気のスポットとなっている。 改良工事のときにできた公園下流岸のワンドは淡水魚の宝庫だったが、近年は外来の魚や草が多くなり、淀川の自然を守る環境保護とエコの声が高まっている。 (旭区地域史より) |
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