旭区大宮2丁目 中古戸建
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物件情報
周辺施設
コメント【外観】◎「千林大宮駅」より徒歩1分 ◎千林商店街近くで生活至便 ◎駐車スペースありの綺麗な戸建です♪
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旭区大宮2丁目 中古戸建 の物件概要
【中古一戸建】所在地 | 大阪府大阪市旭区大宮2丁目27-2 | ||
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交通 | |||
価格 | 3,490万円 | 築年月(築年数) | 1996年 4月 ( 築24年 ) |
建物面積/坪数 | 133.28㎡/40.31坪 | 土地面積/坪数 | 65.81㎡/19.9坪 |
種別/構造 | 中古一戸建 / 鉄骨鉄筋コンクリート | 地目 | 宅地 |
備考 | 原始・古代の東成 今から2~300年前の大阪は、大阪湾へ指のように突き出した半島状の地形で、森の宮から東は大きな入江となっていました。この入江に向かって淀川と大和川の2大水系が上流から土砂を運び、半島の東側に次第に陸地が広がっていきます。半島(上町台地)の東側に生まれた土地であることから東生(ひがしなり)とよばれ、それが東成の地名の地名の始まりとなっています。 それでも古墳時代の末ころまでには、大今里辺りは入江であったことが昭和30年に大今里1丁目で杭に繋がれた状態の丸太舟が発見されたことから知られています。 飛鳥時代に入ると日本と大陸・朝鮮半島の交流が盛んになってきます。昭和45年町名変更が施行される以前、JR玉造駅の南側に「唐居(からい)町」という町名があって、ここは飛鳥から奈良時代の外交施設である三韓館(一種の迎賓館)がおかれた場所であり、日本の大陸に対する大事な玄関口であったとされています。(東小橋1丁目19番に碑あり) 東成の土地は次第に東へ広がり、多くの人々によって開拓が進みましたが、ここに流れ込む水の出口は半島のずっと北の方にある狭い水路だけでしたので低湿地はしばしば洪水に見舞われました。そこで5世紀の仁徳天皇の時代に上町台地に大がかりな放水路が開かれ、平野部にもある程度安定した土地が生み出されました。この水路(難波堀江)が現在の大川であるとされています。 こうした土木工事は、大陸や朝鮮半島の進んだ技術の助けをかりて行われたと思いますが、上町台地東側の東成の地はこうした人々の拠点であり、日本で最も進んだ文化・技術交流の先進地帯であったのです。東小橋3丁目の比売許曽(ひめこそ)神社の祭神が新羅の王子の妻であったとされる下照比売(姫)(したてるひめ)であることも、当時この地域に朝鮮半島からの渡来人が多く集まっていたことを物語っているのではないでしょうか。 上町台とその東と西に広がった土地は古くは難波(なにわ)と呼ばれ、東部を難波第郡・西部を難波小郡と称されまいたが、奈良時代の和銅6(713)年の新しい郡郷の制度により、難波大郡が東生郡に、難波小郡が西成郡にから改められ、このとき以来東生(東成)の地名が現在まで続くことになります。東成とは実に1300年もの古い由緒を持った地名なのです。 |
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