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ケーズグランデ 平野東1号地 の物件概要
【売地】所在地 | 大阪府大阪市平野区平野東1丁目6-8 | ||
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交通 | |||
価格 | - | 総区画数 | 4区画 |
土地面積 | - | 開発面積 | - |
坪数 | - | 坪単価 | - |
種別 | 売地 | 地目/地勢 | 宅地 /平坦 |
備考 | 坂上廣野麿の墓 平安朝の初め(800年頃)蝦夷との戦いに武功をたてた坂上田村麿の第2子廣野麿が朝廷から杭全庄を賜り、この地を領有した。廣野麿は嵯峨、淳和の二帝につかえ、右兵衛佐に任じられこの地に永住し、天長5年(828年)3月9日に亡くなった。また、坂上家から分かれた泥堂氏(のち井上氏)、野堂氏(のち末吉氏)、森氏(のち成安氏)、三上氏、土橋氏、辻葩氏、西村氏の七名家が、平野を分割し治め一族は平野と共に繁栄した。 含翠堂跡 平野七名家の1人土橋友直らによって享保2年 (1717年)に創設された大阪初の民間学問所である。経営は、すべて同志の寄附金とその運用で維持され、飢饉の際に備えて積み立てを行い、たびたび窮民を救済したことは、他の学塾に見られない特色である。明治5年(1872年)新学制公布により閉鎖されるまでの155年間、郷民の教育や窮民救済にあたった業績は大きい。 平野環濠跡 平野の環濠は、いつ頃掘られたものかは不明であるが戦国時代の動乱の時代に自衛と灌漑、排水用あるいは洪水の調節池としての役割を持ってつくられたと考えられる。町の周囲に堤を築き、その外に濠をもうけ、さらに二重になったところもあった。濠は平野川ともつながり、杭全神社東側にあった船溜は平野川を上下する柏原船の発着で賑わい、繁栄の基礎ともなったが、時代の移りかわりとともに埋め立てられた。 環濠は、明治の初期には郷の東側から右廻りに松山池、流池、藤七池、道白池、今堀池、殿堂池(新池)、殿堂蓮池(弁天池)、お茶池、河骨池、関東池として平野郷を取り囲むように残っていたが、現在では杭全公園の北側と赤留比売命神社背後の土塁に面影を残すのみとなった。 杭全神社 平安時代の初め貞観4年(862年)に坂上廣野麿の子当道が、素盞鳴尊を氏神として祀ったのが始まりといわれ、平野郷一円の守護神として信仰をあつめた。 第二殿第三殿は永正10年(1513年)造営の記録があり第一殿とともに重要文化財に指定されている。境内には、全国で唯一、連歌所が残っており、市の文化財に指定されている。また、大くすの木は、樹齢850年以上と伝えられ、府の天然記念物に指定されている。 毎年4月の御田植神事では、一年間の農作業の手順が猿楽の所作でユーモラスに表現され、7月の夏祭りでは氏地各町から出る九台の地車が勇壮に曳行される。 平野区魅力発信ページ参照 |
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