城東区:ふれあい城東初場所
ふれあいJOTOを参考に掲載しています。
城東区には両国国技館を上回る規模の
『大阪大国技館』があった!
大阪大国技館
昭和12年3月、大日本相撲協会が城東区古市に大相撲大阪初場所を行うため、
『大阪大国技館』を建設しました。
収容人数は現在の両国国技館の2倍以上もあり、国内屈指の屋内スポーツ施設
として誕生しました。当時は、毎日客席がいっぱいになり、梅田駅やなんば駅
行きの特別バスまで出ていたそうです。
ところが、昭和16年太平洋戦争の勃発で、わずか4年間で7回の準本場所を
開催しただけで休館を余儀なくされ昭和26年頃に解体されました。
現在は、住宅団地になっていますが、団地内には大阪大国技館の案内板が
設置され、区役所には復元模型を設置しています。
16歳で朝日山部屋に入門した朝日山四郎右衛門は鴫野出身で、
気っ風の良い取り口で大正時代に人気を集めた大阪大相撲の大関です。
朝日山関が鴫野に帰ってくときは、村の入り口で必ず人力車から
降り、そこから家まで歩いて帰ったと言われています。
そのような素朴な人柄が愛され、村の有力者をはじめ地元の人たちに
人気があり後援者からから化粧まわしや締め込みが送られました。
白山神社には、当時の板番付があり、そこには朝日山四郎右衛門の
名前が見られます。
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土俵のある城東小学校
城東小学校中庭には立派な土俵があります。
城東区は相撲のゆかりの地で昭和63年に地域の方の寄付で造られました。
毎年相撲大会が行われ、高学年ではトーナメントで横綱を決めています!