そんな内代町の南部から善源寺町まで続く細く長い公園。
なぜこんな形状なのでしょうか。
傍島さんが育てた美しい菊の鉢植えが、今年はじめて内代小学校の玄関を彩りました。
一緒に散歩しながら、地域の今昔を探りました。
内代公園に野江内代駅竣工記念碑
谷町線の「野江内代駅」は、当初案では「野江駅」でした。
駅名に「内代」を加えたいという地域からの声で「野江内代駅」となりました。
京街道の碑
「京街道の七曲り」の始まりです。この辺りは昔、大阪城の鬼門を守る大宮神社の入り口で鳥居があったらしいです。内代は大宮神社の氏子で、だんじりも所有しています。
榎並橋の親柱
雲観寺は、関西スーパーの近くを流れていた榎並川にかかっていた、榎並橋の脇にありました。現在の場所へ移転した際に、地蔵尊と一緒に橋の親柱も移設しました。
傍島さんに、今回のハテナを聞いてみたら
「内代町から続く公園には、榎並川という名前がついているよ。」
散歩で聞けた話をもとに、内代児童遊園について都島区史を開いてみたら。
内代児童遊園から友善ちびっこ広場までは昔、「榎並川」という川が流れていました。川が埋め立てられたことから細長い現在の形になり、地下には直径約2メートルの下水管が埋設されています。
内代児童遊園周辺を歩くと、かつて流れていた川の様子を感じられます。あなたもぶらりと散歩してみませんか。