都島区:9月
都島区広報誌 広報MIYAKOJIMAを転記して掲載しております。
みやこじまナビ
榎並地蔵周辺を歩く
今回のハテナ
京橋駅から北へ続く商店街を抜けると、「榎並地蔵」があります。その地蔵堂の傍らには、昭和20年の大空襲の被災地図と道標もありました。
道標にはなんて書いてあるのだろう。
ハテナを探るため、前号に引き続き、お近くにお住まいの 小林 英昭さん と榎並地蔵周辺を歩いた。
歩 い て 発 見
榎並地蔵
京街道に沿って形成された野江村の人々により祭られてきた榎並地蔵。平成20年の地蔵堂新築工事で、堂内より江戸中期の(ハテナの)道標が発見されました。
京街道の碑
都島中通にある交差点にひっそりと建っているこの石碑は、この道がかつて、豊臣秀吉が築いた、大坂と京都を結ぶ京街道であることを示しています。
榎並川
京街道の東側には戦後まで、榎並川が流れていました。榎並川を埋め立ててできた道路は、当時の川の流れに沿って北西に大きくカーブしています。
小林さんに榎並地蔵の事聞いてみたら
「昔はこんな場所になかった。詳しくは大阪歴史博物館の大澤館長聞くといいよ。」
大阪歴史博物館の 大澤 研一館長 に聞いてみた
「ハテナ」の道標には「右今ふく」「かもう」と刻まれています。大坂城下町の繁栄で、人の往来が多くなった京街道から、今福・蒲生方面へ向かう道標として、都島区と城東区の境を流れていた榎並川に架けられた水香橋近くにあったと考えられます。往来が活発だった証しでしょう。
京街道の歴史を感じながら、ぶらりと散歩してみませんか。
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